父の日の由来

6月の第3日曜日は、父の日。 

父の日も、母の日と同様にアメリカ発祥の記念日です。 


【父の日の由来】 

1908年 アメリカ人女性アンナ・ジャービスが、

7人の子どもの死を経験した母アンを称えるために、

伝統的な母の日を正式に設立しました。 


母の日の設定を受けて動き出したのは

同じくアメリカ人女性のソノラ・スマート・ドッド。 

ドットは「母を讃える日があるのなら、父を讃える日も必要だ」と記念日設立を嘆願しました。

そして、素晴らしいことに、諦めず行動に移されたことによって、

父の日が設立したのだと思うと、、、

信念をもって行動に移すことの大切さを改めて実感します。 


1909年 教会牧師にドットの父親の誕生月である6月に礼拝してもらったことを契機に、

父の日が設立されたと言われています。 

1910年 ドッドが父の日設立を嘆願しはじめて、最初の父の日の祝典が開催 

1916年 アメリカ大統領演説で、父の日が認知されはじめる 

※その後、長い年月を経て、アメリカ国内で父の日を継承するための組織が作られたりと

文化の中に少しずつ父の日が根付いていったそうです。 

1966年 父の日についてアメリカ大統領告示発出。6月第3日曜日が父の日に定められる 

1972年 アメリカで父の日が正式な国の祝日となる   


【ドットさんのお父さん】 

「父の日を祈願したドッドのお父さん」は一体どんな人だったのだろうか?

と 思いますよね。 


 ドットは、6人兄妹の末っ子として生まれる(5男1女) 

ドットのお父さんは軍人であったため 1861年アメリカ南北戦争に招集されます。 

それから内戦が終わる1865年までの間、 

ドッドの母親は女手ひとつで6人の子どもを守り続けました。 

 その時代、ましてや内線状態にある社会は、 経済状況も国政も不安定であり、

女性ひとりで6人の子どもたちに十分な栄養や教育を与え、

養育することは簡単な事ではなかったことと想像します。 


 内線が終わり、ドットの父は無事に帰還されたのですが、 

母親は間もなく体調を崩して天に召されました。 


 今度はドットの父親が、残された6人の子どもたちの子育てをすることになりました。 

 ドットの父もまた、戦後間もない時代の中で必死で働き続け 

6人の子どもたちが成人するまで育てあげました。 

そして末っ子のドッドが成人してまもなく、父親も亡くなられたそうです。 


 【まとめ】 

子どもたちのために懸命に働き続けた亡き父親へ 

感謝の気持ちを持ち続けていたアメリカ人女性が、 

「父に感謝を伝えたい」と願ったことが父の日の由来です。 


 現代社会では、あらゆる記念日が商業化されてしまい、 

「父の日にお父さんへお花やプレゼントを贈ろう」

という風習ばかり 強調されてしまっています。 


しかし、由来を知れば、 本来、父の日は、

大切な亡き父親のために祈りを捧げた日であり、 

全てのお父さんのための日であることがわかります。 


 今、ここに大切な人の姿が目に見えなかったとしても、 

大切なお父さんとお別れをし、父の日と聞くと嫌な気持ちになる子どもたちも。 

大切なこどもたちをお別れをし、父の日なんてなければいいのにと 思うお父さんたちも。 

誰もが傷つくことより、癒され心温まる1日になるよう願っています。 


父の日は、世界中のお父さんたちを讃える日。 


5月の母の日に引き続き、 

6月の父の日は、周産期グリーフを広く知ってもらうための

大切な啓発期間であると認識しています。


目に見えない悲嘆(グリーフ)をしっかりと受止めてもらえる社会を願い

発信していきたいと考えております。 


 引き続きどうぞ宜しくお願い致します。 


 周産期グリーフケアはちどりプロジェクト 

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周産期グリーフケアはちどりプロジェクト “Hummingbird”『今、私たちにできること』

周産期グリーフケア はちどりプロジェクト “Hummingbird”『今、私たちにできること』 ペリネイタル・ロス後の深い悲しみの現実を1人でも多くの人に知ってもらえるよう活動しています、またその後の長い悲嘆過程の道のりを分かち合い、寄り添える社会のためグリーフケアの必要性や在り方を考えるきっかけ作りのための “ひとしずく運動”をひとつひとつ丁寧に心を込めて積み重ねていきます。

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